人間関係のトラブル

2回のキャリアチェンジ!ゼロからのスタートで成果を出そうと奮闘するも試練が……

2022/07/01 人間関係のトラブル女の転職起業失敗談

矢野圭夏 代表

 

ManableGate代表

鹿児島ウーマンライフ研究会 顧問

大阪支社から東京本社へ!周りとの調和に悩む日々

 

大学を卒業後、大阪でオフィス機器の会社に就職したんですが、都会で働きたいという強い思いがあったので東京本社への異動願いを出して東京で働くことになりました。

同じ会社なのに大阪と東京とのカルチャーショックや部署移動したことで雰囲気がだいぶ異なっていて困惑しました。

大阪ではオフィス機器を扱うショールームだったので、実際に使用されるお客さんと一緒にデモンストレーションをしたり新商品のご案内をしたりとお客さんと接する機会が多かったんです。でも、東京で配属された部署は企画の仕事だったのでお客さんと接する機会がなくなってしまいました。なので、自分の仕事がお客さんにどう繋がっていくのかが見えにくくなりました。

大阪では実績も作っていたので意気揚々と東京に行ったんですけど、東京では同じ部署の仲間から相手にされず「なんか大阪から来たぞ」みたいな……

私はキャリア思考でバリバリと仕事を頑張りたいと思っていたんですけど、それがなかなか周りと調和が取れずにチームメンバーとの関係に悩みました。

──人間関係で結構悩みがあったんですね。

そうですね。気軽に質問したりもできない雰囲気でした。最初からたくさん仕事を任せてもらえるわけではなかったので、新人と同じ扱いでその部署ではゼロからのスタートでした。大阪では3年半のキャリアがあったのに、雑用がほとんどで「何のために東京に来たのか」と半年は悔しい思いをしていました。

でも、せっかく来たからには実績をつくりたいと思いました。末端の仕事だけど電話や書類の場所など全てを把握して部署のことを何でもわかるようになろうと考えて把握していくうちに、段々と私がいないとまわらないようになっていきました。

そうすると自分のやりたい仕事や、大阪で経験してきた自分のやり方を口に出したり形にすることが出来るようになっていきました。

──途中で仕事を辞めようとは思わなかったんですか?

それは思わなかったですね。せっかく東京に来たからには実績を作りたいという思いのほうが強かったです。その東京での「諦めない」という経験でとても鍛えられました。

そのころの経験が、現在の自営業として独立してからも活きているので最初に勤めた5年間はとても大きいです。

──振り返ってみると良い経験でも当時は大変でしたね。

その時は周りが全員敵に見えてました。女性は気分転換するために髪を切ったりするじゃないですか。私も悔しいときは気分転換に髪を切っていたんですけど、当時は切る髪の毛もないくらいショートヘアになってました(笑)

──どうやって悔しい気持ちの切り替えをしていたんですか?

東京で一人暮らしを始めてからは料理に目覚めて、仕事で帰りが遅くなっても自分で作って食べていました。自分で作って食べることで達成感や満足感があって簡単に自分を満たせる方法だったと思います。

──家に帰ってからも仕事のことを考えてしまって憂鬱になったりはしなかったですか?

アロマを焚いたり好きな音楽を聞いたり、誰かに話を聞いてもらったりして環境を切り分けるようにしてましたね。

 

出版社に転職したい!夢を手にするも……

 

私はもともとメディアに興味があって自分が感じたことや考えたことを発信したいと思っていたんですが、新卒時にはそういう業界にはご縁がありませんでした。

ご縁があって入社した会社はオフィス機器を扱う会社だったので、主役はオフィス機器なわけです。そこに私の思いがどうかは世の中に出ていかないなと思ってやっぱり発信できる出版社に転職したいと考えました。

大阪も都会ですけど、東京に出て思ったのが「夢が叶うチャンスが多いな」と感じました。東京でなら自分の夢を叶えられるかもしれないと。

──じゃあ、東京で働きながら転職を考えていたんですね。

そうですね。働きながらもライティングのスクールに通ったりしていました。会社を辞めた後は、いきなり出版社に転職できるわけでもなくフリーランスのライターとしてすぐに稼げるわけでもなかったのでどうしようと……

正社員で働くのは難しかったので、まずは派遣社員として出版社に入社しました。派遣だったので実際にものづくりに携われるわけではなかったんですが、私の憧れていたお仕事を実際にやっている人の姿を見ながらサポート出来ることがとてもうれしかったです。

──矢野さんの憧れていた場所で働くことが叶ったんですね。

「やっと夢を手にした」と思ったんですが、パートナーの転勤が決まり鹿児島に行くことになったんです。

私が東京に残って遠距離婚になるか、パートナーが転勤を断って東京で一緒に暮らすかなど色々考えて悩みました。結局、私が仕事を手放して鹿児島に行くことにしました。

──たしかに、女性は家庭と仕事で悩む時期がありますよね。

そうですね。当時と比べると今はリモートワークができる会社も増えてきたのでだいぶ融通が利くようにはなったと思います。

環境が限られていたら「結婚」か「仕事」のどっちかを選ばないといけないですけど、パートナーとの話し合いや価値観によっても変わると思います。

これまでも転居や転職に関しても納得のできる選択をするために時間はかけてきました。選んだ道がどうなるかはわかりませんが、たとえどういう結果でも、自分が決めたことであれば受け入れられますね。

失敗からの起業「起業したかったわけではない」

 

私は全然起業するつもりはなかったんです。鹿児島に転居したあと勤めていた会社でキャリアを積んで頑張りたいと思っていたんですけど、私の「頑張りたい」と思う方向性とその会社の社長やスタッフが思い描いている方向性がズレてきてしまって辞めざるを得なくなってしまったんです。

その後も、良いところがあれば勤めたいと考えてはいたんですが、失業保険を貰いながら生活していくなかできっかけがあって起業することになりました。

──退職する前に準備していたわけではなかったんですか?

そうですね。実は退職した後に少し心を壊してしまって……

ゆっくりしたいと考えていました。

──起業のきっかけとはなんだったんですか?

1年くらい休んだ後に、これまでのキャリアが活かされないのはもったいないなと思ったんです。そのころにちょうどお仕事の話をいただきました。鹿児島市から女性の起業スクールの企画・運営のお仕事を受託するかたちで起業しました。

鹿児島に来てから色んな地域活動をするなかで女性のキャリアや、どう自分の思いを実現するかというコミュニティ活動をしていたんです。自分のやりたいことを形にしていくためにはどうしたらいいのかということに私自身が取り組み、仲間と活動をしていたので引き受けたという経緯です。

──どんなところが大変だったんですか?

自分で独立してやっていく場合はすべて自分の責任ですが、私の場合は鹿児島市から委託されていたお仕事だったのでへたなことはできない、失敗できないというプレッシャーがありました。決められた枠の中で、成果を出すためにとても苦労しました。しかも、スクール運営するためのスタッフを2人雇うことが条件にありました。

──え、いきなり社長ですか!

そうなんですよ。まず、「社長」がわからなくて……

うまくチーム作りができなくて、悲しい思いをさせたり私が悲しい思いをしたりと。泣いて会議室を飛び出したこともありました。

任される仕事もそうですし、毎日働いてくれているスタッフに楽しんで働いてもらいたいし。でも、楽しいだけではなくて頑張ってもらわないといけない部分もあるのでね。

──スタッフとのコミュニケーションで失敗したことはありますか?

スタッフでファッションにすごく興味のあるスタッフがいました。私から見ると個性的な服を選ぶ方だったんです。自分の好きなお洋服を来てもらうことは良いことなんですが、色んな人が出入りするシェアオフィスを使用していたり、ゲストをお迎えしたりすることもあったので、周りからの目を考えるとビジネスという観点では注意した方がいいなと思いました。

──それを指摘するのは言い方も難しいですね。o

そう、めちゃくちゃ悩みました。その方に思いきって話してみたら次の日から黒い服しか着て来なくなってしまって……

スタッフなりの抵抗だったんだろうなと思いますけど、服装のことを指摘されたことでその方にとって大事にしているものが否定されたと捉えられてしまったのだなと。そんな状態だと仕事も成果が出なくなってしまいますね。

そういったひとつひとつのことがきっかけで人間関係がもろくなってしまうんだなと学びました。

今ならこれまでの経験から、ストレートに言わずに違う角度や言い方を変えて上手く伝えられたのになと思います。そもそも服装が気にならないかもしれません。(笑)

──人それぞれに大事だと思う価値観も違うので、意図してない形で傷つけてしまうこともあるんですね。

仕事での失敗だけではなく女性ならではのキャリアと家庭の両立というお話もお伺いできました。インタビューありがとうございました!

 

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