仕事のやらかし
入社した業界が自分に合わなかった。考えすぎず思い切って転職して道が開けた
2021/09/06 仕事のやらかし起業失敗談
株式会社レプリネット・カンボジア 北野 岳社長の失敗談
【事業内容】
カンボジア及び新興国への海外進出コンサルタント、カンボジアと日本での広告代理業
2013年4月 カンボジア・プノンペンにて前身であるカンボジア法人Replinet (Cambodia) Co.,Ltd.を創業
2016年3月 東京都港区にて日本法人株式会社レプリネット・カンボジアを設立
営業での失敗①営業職は自分を売り込むことが大事
大学出てからはサラリーマンとして自動車販売の仕事をやっていました。今は勤務時間とか残業とかにうるさい時代になっていますけど、当時は働かされ放題だし、逆に言うと自由なところもあって。休日出勤すると手当もついて若いうちはみんな出まくってたっていう(笑)
車を売るという特性もあって、お客さんは夜に家にいることが多いので昼間は遊んでる時もあって……
基本、みんな車で移動していたので同期や先輩と集まって海行っちゃうとか、結構やばいですね(笑)
──それって上司に怒られないんですか?
上司の方がもっと遊んでたと思う。当時のうちの上司は会社サボって、営業行ってきますって言って韓国に遊びに行ったことがあるらしい(笑)
──それはさすがにバレそうですね。
バレてなかったと思う(笑)
さすがに私は韓国はないけど、海とか。なぜか朝より焼けて帰ってくるっていう(笑)多分、上司とかにはバレバレだったと思うけど。
──でもその分、夜に働いてたんですもんね。
そう。夜にお客さんが入る限り何時まででも仕事してたので。最初の何年かは車業界にいて、その後は広告代理店に転職してしまって、それからはずっと広告畑ですね。
──あの時、こうしとけば良かった!というのはありましたか?
真面目に与えられた広告企画「だけ」を売りすぎてたなと今は思う。要は、企画書をもらってその企画の中身だけを完璧にするんだけど、結局営業は企画だけを売っちゃだめで自分自身を売り込まないとだめ。
──でもそれってすごく難しいですよね。
それを若い頃に全然気づいてなかったから、今思えばそういう動きを若い頃にしておけばよかったかなと。
──それはいつになって気づいたんですか?
独立したあと。サラリーマン時代には気づいてなかったね。周りの営業上手い人を見てだね。
若い頃から交流会を開くとか飲み会を主催するとか、人間関係をつくることは自分を売り込むことになるじゃないですか。そういうのを若い頃からうまくやってる人がいて、そういうやり方があるんだ!っていうのを私は気づくのがめちゃめちゃ遅かったので。
──自分を売り込むってどんなことですか?
営業に行ったときに仕事の話もしないといけないんだけど、趣味の話だったり最近食べたおいしいものの話とか……
自分を印象付けるとか自分を気に入ってもらうことの方が圧倒的に大事。
──世間話をすることでけっこう印象変わったりするんですね。
めちゃめちゃ変わる。私の場合年齢や立場的にも売り込まれることが多くなって、なおさらそのことを強く感じる。極論、普通のものを売りに来た面白い人間と、ものすごく良い企画を売りに来た普通の人だったら、前者から買うね。
──それって相性もありますよね?
あるある。でも合わせる必要はなくて、ご飯を食べに行ってる感じで話したらいいんじゃない?企画よりは自分を売り込むことですかね。なんならその日は企画を売らなくてもいいと思う。サラリーマン的にはだめって言われると思うけど、うちの社員だったら別にそれでいいっていうかもしれない。それよりも面白いなとか、付き合ってもいいなと思わせることが大事だから。相手にそこに興味を持ってもらわないと、買う側ってやっぱり合わない人からは買いたくないじゃん。
車なんてなおさらで、どれも似たようなものばかりで、下手したら同じ車種の同じグレードのものを何人もの営業マンが売ってるわけでしょ。そしたら誰から買いたいかって言ったら、この人と付き合って行ったら面白そうだなっていう人から買いたいでしょ。
──北野社長は自分を売り込むことは得意だったんですか?
得意じゃない。だから新規営業はそんなに成績良くなくて……
既存のクライアントさんから仕事を拡大させたり、失敗をしないで続けてもらうとかの方が営業成績では数字が大きかったので、今から思い返すと新規営業は数的には得意ではなかった。真面目に企画を説明してたからお客さんからしたらあんまり面白くなかっただろうなと思う。
──なんか意外です。お客さんは企画の中身だけを見てるのかと思ってました。
大手同士のプレゼンだとそうなりがちだけど、その中にも入れた方が良いとおもう、人間性とかおもしろそうなポイントとか。
──人間性ってなんですか?後から身に着けられるものでもないじゃないですか。
素でいいんだよ、自分の経歴をそのまま出せばいいだけだし。
失敗②入った業界が自分の性格とミスマッチだった
──車業界と広告代理店だと仕事もだいぶ違いますよね?
就活では車業界と広告業界を志望していて、どっちも好きだったというのがあるので。
──なぜ車業界を選んだんですか?
車業界の方が初任給が全然よかったから(笑)
広告業界も大手に行ったら別ですけど、大手は本当に狭き門なので、入れそうな普通クラスの代理店に比べたら車業界の方が全然よかったので、惹かれて入ってしまいました。そこが間違いだったんですよね。
──え、何が間違いだったんですか?
これは自分の性格とのマッチングの問題で、車業界に入ると売り物が車なんですよ。売り物が1つなのでおもしろくない、飽きちゃった(笑)
──もっと色んなことをやりたかったんですね。
そうそう。良くも悪くも気が多いので(笑)
広告代理店に転職してみたら、もちろん初めて入った業界だし、誰にも教えてもらったことはないし。20人規模の中堅の代理店に入社したんだけど、ついてくれた先輩が3か月目に失踪してしまって……(笑)ある日、会社に来なくなったんですね。それで教えてくれる人もいなく、でも先輩がいなくなっちゃったからいきなりけっこう大手クライアントを任されて。
──そんなことあるんですか⁉
一人で打ち合わせ行ってきてって言われて。ほんと知識ゼロの状態だから、分かったふりして、メモだけたくさんしてきて、わからないところは部長や上司に聞いてわかったふりをしてやり切ったっていう(笑)
当時、請け負った仕事がマンションの売り出しっていう結構細かい仕事だったんですよ。図面の細かいところを確認しないといけなかったり、文字の校正とか。マンションの額は0が一個抜けてるだけで大変なことになってしまうという、その全責任が新人の私にかかってましたね。
──それはすごいプレッシャーですね。
まあ、でもプレッシャーを感じる人間でもないので(笑)サラリーマンだからやらなきゃと思って淡々とやっていたという感じですね。
──転職された広告業界は北野さんに合っていたんですね。
広告代理店はなにをやってもいいんですよ。新聞、雑誌、イベントだろうが自分のやりたいこととクライアントを探して、利益さえ出れば何やってもいい業界だったので自分に合っていました。マッチングが大事なのに学生の時は何も考えずに就活したっていうのは第一の失敗ですね。
日本人は結構、我慢強いから。仕事を続けるのか思い切って転職するのかはちゃんと考えないといけないですけど、しがみ続けるのも失敗かなと思いますね。給料が入らなくなったらどうしよう、保険払えなくなったらどうしようとか事前にちょっと気にしすぎて、しがみつきすぎてる気がしますね。思い切ってやってしまえばなんとか道は開ける可能性はあるので。
失敗③人脈のために交流会に出すぎるのは効率が悪かった
──もともと起業したいと思っていたんですか?
夢にも思ってなかったです。社長ができるとは思ってなかったです。会社を運営するとかそんな面倒くさいこと出来っこないと思ってました(笑)
──なにがきっかけで起業を?
広告業界って企業の業績が悪くなったら真っ先に予算が削られるんですよ。広告宣伝費ってゼロにしたって別に急激に売り上げがゼロになるわけじゃないじゃないですか。
──たしかに。
私が独立を考え始めたときはまだ日本の人口は減っていませんでした。でも確実に減るなというのが統計上見えていたので、人口が減り始めたらGDPが減る、広告予算なんてもっと出てこないのでこのままサラリーマンをやってたら完全にアウトだなって思ったんですよ。それで独立する気になって。
──葛藤はなかったんですか?
広告代理店ってほとんどが資本がなくてもできる業界。企画を売ればいいので事務所もいらない、人も雇わなくていい、自分さえなにか営業できれば利益はとれるという業界だったので独立しやすかったというのはありましたね。
独立してすぐの頃は人脈を作りたいと思って交流会に出まくってました。今思えば、役に立ったものがゼロではないですけど、月に3、4回の頻度で出てたので出すぎていたかなと。
──仕事につながったのはどのくらいですか?
その数年以内に仕事につながったものはなかったですね。カンボジアで先に法人化したあとに日本で法人化して、そうなった時に昔交流会で繋がってた人と仕事につながったりはしました。効率を考えるとそこまで交流会に出なくてもよかったかなと(笑)
──じゃあ、独立したての方はどうやって人脈を広げるんですか?
交流会に出るんだったらある程度選んだ方がよい。最初のうちは「つながりたい」「人脈ない」が強いじゃないですか。そうすると、なんにも考えずに申し込んじゃうんですよ。今だから言えるのは、集まってる人たちの層があんまりビジネスにならない交流会がものすごく多い。そうですね、9割以上が参加してもビジネスにならないものが多いかな。なぜなら全員が売りたがっているし、商材が被りすぎているから。
広告代理店も守備範囲が広いので誰とでも広告の話にはなるんですよ。でも広すぎるから何屋だか覚えてもらっていない。広告代理店がなにかをわかっていない人も多いし、売り物が多すぎるので、広告代理店って何頼んだらいいのってわかってもらいないので、なおのこととりあえず繋がっておいてもらう、知っておいてもらうという「人」の売り込みは大事ですね。
あとは人を紹介してもらえる人とつながることですね。
その人に面白がってもらって人を紹介してもらうには、人に紹介してもいいなと思ってもらわないとだめだから。
──コミュニケーション能力って大事ですね。
失敗④創業の頃に補助金・助成金を調べておけばよかった
──会社を経営している中でこれはやっておけばよかったなということはありますか?
先にカンボジアで法人をつくったんですけど、補助金とか助成金を調べておけばよかったなと思います。まったくやってなかったんですよ。創業の時にちゃんと補助金・助成金を見ておけば年度で変わるし金額も大小いっぱいあるし。多分、何百万円~1000万円単位で損してたなと思いますね、資金でいうと。国が補助してくれるものだから返さなくてもいいのでそれは活用すべきでしたね。
──カンボジアの法人をつくられたのは2013年でしたよね?
それまでは個人事業主としてやっていたり、人の会社に机だけ借りてそっちの法人名でやっていたりしてたので、めっちゃ遅いですよね。
──2013年にカンボジアで法人を作ると言った時の周りの反応はどうだったんですか?
子供がその時点で9歳なので時期的には結構やばいですよね、これからお金かかるじゃんって(笑)でもその前にすでに独立していたので、そこまで強くなにかを言われてはいないと思う。このままサラリーマンやっていた方が10年先もっと大変だと思うという話をしたんじゃないかな。
失敗⑤人材での失敗
営業力のあるスタッフさんや企画力のあるスタッフさんと関わりを強くしたり、育てることができていればだいぶ業態・業績が変わっていたんだろうなというのはありますね。
──カンボジアでは現地の人を採用していたんですか?
そうですね。今思えば、社員管理でいうと一番甘い方の経営者だったと思いますね(笑)
難しいところなんですよ、広告代理業ってイベントで夜中になっちゃったり土日出勤もあったりする業態なので、普段の勤務形態にそこまでうるさく言ってなかったですね。でも本来は人数増やしていくなら社内ルールはきちんとすべきだったというのはありますね。
──異なる国の方と一緒に働くのって言葉も文化も違うので大変そうです。
言葉はお互いになんとなくの英語でできるので意思疎通はまあまあ出来るんですけど、まず総合広告代理店がなにかっていうのがわかっていない。というかカンボジアにほぼ存在していなかったからうちが作ったので(笑)
──それはどうやって説明したんですか?
シンプルなところから、テレビや雑誌とかの広告のスペースをマージンをもらいながら売るんだよとか、ショッピングモールのためにイベントを企画してフィーをもらうんだよとか。
──カンボジアと日本人では働くことの考え方も違いますよね?
全然違いますね。カンボジアではジョブホッピングが普通、ダブルワークが普通。逆に言うと日本が特殊だと思いますよ。終身雇用制を導入して、年齢が上がるとともに給料も上がるっていうのを構築しちゃったから、日本が割と特殊で。こんだけ時代が変わって日本の人口も減っているのに、いまだにそれを崩せていないというのは日本の失敗ですね(笑)
──日本の失敗ですか!カンボジアに行かれてから余計に感じたんですね。
そうですね。カンボジアに行って外から日本を見てみないと絶対に気づけていない部分ですね。
──カルチャーショックはなかったですか?
カンボジアはお昼休みが1時間半から2時間あるんですよ。基本、1年中暑い国だから暑い時間帯をお昼寝時間にあてるんです。うちも休憩時間を1時間半にしたら、電気消して床で昼寝をしていたりとか、お昼ご飯は家に帰って食べるとか、そういうのはありました。
これは日本とカンボジアでスタッフと接してて思うんだけど、カンボジア人の出来る子たちは新しいことを考えてくれたり提案してくれたりと自主的に動いてくれる。日本人の子たちは学歴含めて優秀な子たちでも指示しないと動かないのと、指示した範囲でしか動かないというのは日本のダメになりつつある部分ですね。カンボジアの子は自主的な精神が強いから簡単に起業もできる。経営者精神がもともと備わっているというか。
──2013年の当時に海外で起業することに不安はありましたか?
不安はね、まったくなかった(笑)
それは今のカンボジアの勢いだと思う。特に首都のプノンペンに行くとわかるんだけど、新しいビルはどんどん建ってるし、高級車だらけだし、若い子たちはどんどん成功していくし。それを行って目の当たりにしてると日本でなにか続けてたよりもよっぽど成功確率が高いなと最初から思えてたので。
私、2013年の1月に初めて4日間くらいのビジネスツアーでカンボジアに行って、3か月後の4月にもう一回飛んでもう会社作ってるから、そのくらい「もう、これ行ける」と思ったので不安はなかったですね。
「日本は失敗に厳しすぎる」
日本の場合、1回失敗すると這い上がるのが大変。これは起業家も社内の派閥争いとかもそうだけど、1回失敗したときのチャンスの少なさがやばい‼
海外だと何回も失敗して最後に成功したらいいんだというメンタリティなので、別に最初の失敗は失敗じゃないんですよ。むしろ成功するまでの糧にしか思ってないので。
日本人は失敗を気にしすぎるし、失敗への許容量が小さすぎる。周りに失敗している人がいたらそんなに責めないで大きな目で見てもらった方が良いと思います(笑)
会社なり事業なり続けている限り失敗ではないので、続けることはものすごく大事だと思いますね。
続けるために、日本人ってこだわりが強すぎてて業態や商品を変えることを嫌がる人が多いんだけど、私は変えた方がいいと思っている派です。時代が変わってきていて背景も変わっているのに間違った方向に頑なに「変えない」と言ってる人が最近ちょっと多いなと感じているので。むしろ変わらないと生き残り続けられないと思いますね。
──失敗に寛容になるって大事ですね。カンボジアでの起業経験から、外から見た日本についてのお話は興味深かったです。ありがとうございました!
株式会社レプリネット・カンボジアのホームページはこちら
株式会社レプリネット・カンボジア http://replinet.net/