人間関係のトラブル
一緒に会社を始める予定だったひとが詐欺師だったが、そのおかげで起業する決心ができた
2021/11/04 人間関係のトラブル社長メンタル起業失敗談
失敗①独立しようとしてすべて(お金・事業・安定)を失った
──独立されたのはいつ頃ですか?
株式会社ドローンフロンティアを設立する前に、25歳で独立して1社会社を設立しました。
──それまではサラリーマンだったんですね。もともと起業を考えていたんですか?
大学生の頃からふわっといつかは独立したいなと思っていました。そのときは特にやりたいことが見つかっていたわけでもないし、サラリーマンとして会社の中ではわりと良い位置にいたこともあって、独立するタイミングがなく井の中の蛙みたいになっちゃってましたね。
──その状況のなかで独立しようと思ったきっかけは何だったんですか?
お客さん先で出会ったある経営者の方と雑談をしているときにふと「いつかは僕も独立とか考えてるんですよね」と言う話をしたら飲みに誘ってもらって。
今ままでは同僚とか上司とかサラリーマン同士で飲むことがほとんどだったので、はじめて経営者の世界に入った時に今までの飲み会とは会話が違うわけなんですよね。
このまま小さい会社でイキってるだけだとやばいぞと感じました。
そしてその後にその誘ってくれた社長がビジネスモデルを作るのが得意だったので指南してもらって、サポートするから一緒に新しいことやろうよというお声がけをいただき、独立しようと決心しました。
──その方の影響力すごいですね!
その方が最初にその世界に引っ張ってくれたのでめちゃくちゃ崇拝していました。
当時の僕は会社では営業トップだったんですけど、その方の営業力はものすごくて「勝てない、やばい!」と思いました。
会社在籍中に会社をつくったんですよ。
5月に会社を作って、10月末には会社を退職すると伝えていたんですけど、8月くらいにその人が詐欺師だってことが判明して、それまでバカみたいに言われるがままお金を払ってしまっていたので、気付けば全財産を失っていました。
──え!?その崇拝していた方が詐欺師だったんですか?
会社をつくったのはいいけどビジネスモデルがその人と一緒にやること前提だったのでやることがなくなって。
僕はまだビジネスモデルを作るスキルもなくて何やっていいかわからない、子供も生まれてくるのにお金がない、退職も決まってる。でも妻には話せない。
一瞬すべて失った感覚でしたね。
──ちょっとびっくりしすぎてどう反応したらいいか分かりません。
10月末に退職は決まっていたので、困ったなと。
そのまま訳も分からず一人で会社をやるのか、もしくは転職も考えて内定をもらっていた大手のどっちに行くかという選択がありました。
最後、会社をやめる前に勤めていた会社の社長のところに挨拶に行ったときにその状況を話したら頭ひっぱたかれて……
最初は叱られたんですけど僕のことをとても親身に考えてくれて、まずお金がないとなにも出来ないだろという話になって、お金を稼ぐとしたら今まで扱ってきたものが一番いいだろうということで、社長が今まで会社でなかった業務委託というルールをその場で作ってくれて歩合でお金を稼ぐことになりました。
そんなわけで結局その働いていた会社と業務委託させてもらえることになり、と言ってもお客様は既に部下や同僚に引き継いでしまっていたので、そこからまた新規営業みたいな形になるんですけど、新卒の時に振り出しみたいな。
──その時の心境は体験した人にしかわからないですよね。
本音で話せる人もいない、一からまたテレアポしてお客さんを作るっていう時期はきつかったですね。
若く独立した時って一回、「社長になった」ってイキるので(笑)
でも、いざ自分で社長の名刺をつくって会社のHPを自作してみたら中身がなくて何の会社かよくわからない、肩書だけ社長なのが恥ずかしくなりました。
なので、とにかく最初の1年間はお金をひとりで作る1年間でしたね。
お金を取られた部分は、もちろん僕の判断ミスだったので家庭をもった身でアホなことをしたなとは思いますね。
──そんなにその方の営業力はすごかったんですか?
営業力は断トツでしたね。詐欺師って得体のしれない、実在しないサービスでお金を引っ張る力があるので基本的に営業力があるんですよ。
まあ今となっては全くその人を恨んではいないですけどね。
──なんでですか?私だったらずっと根に持つと思います。
その人が経営者の道に引っ張ってくれてなかったらそのままずるずる会社にいただろうし。だから、そのきっかけをくれたことに対して数百万円出したと思ったら恨む意味もないです。
──詐欺の後は、人間不信にはならなかったんですか?
その時は、疑心暗鬼になりました。
僕は根本的には騙されやすいタイプなんですよ、なので今考えれば全部自己責任になる経営者という立場になるうえで「人を疑えよ」とご先祖さんが導いてくれて詐欺にあったのかなと(笑)
人の本質を見ないといけないということを頭ではわかっていたけど実際に体感したからこそより強く思いましたし、僕は慎重派なので起業する1歩目が踏み出せなかったりしたので、そこをグッと踏み出させてくれたことに対して感謝している人ですね。
──そのあと、その方とはどうなったんですか?
僕以外にも数十人債務者がいたんですけど、5~6年かけてそのお金を全額返済してくれて、お疲れでしたって普通に飲みました。その方がやってしまったことは間違ってましたけど、きっかけをくれたことは確かなので。僕としてはいい経験が最初にできたなと思いますね。
失敗②会社をつくったはいいけど、仕事がない!
今現在、代表をやっているのが4社あるんですけど、2社目でつくったのがドローンの会社です。
これも出ばなをくじかれてて……
──なにがあったんですか?
最初に起業した会社もなんだかんだそれなりに利益も出ている状態で、生きる分には困らないくらいの生活ができてました。
でも、20代でせっかく起業してやっている中で業態としてはおもしろくないなと。
結局、いくら売るかだけの世界だったので、ゼロからイチをつくるチャレンジをしたいなとモヤモヤしていたころに当時仲良くしていた当時21歳の不動産会社勤務の後輩が「ドローン面白いっすよ」と話をもってきたので、やろう!と、そこから有志が集まり7人でドローンフロンティアという会社がスタートしました。
7人でやるってことは人件費や固定費がそれなりにかかるわけですよ。ドローンは今までやったことのない業界でしたし、熱量だけでスタートしたのとドローン自体も今よりまだ全然認知度が低かったので簡単に仕事が取れるわけがなく……
──たしかに、ドローンが有名になったのってここ数年ですもんね。
ただ実はこの会社の設立の経緯として、もともと僕を誘った21歳のパートナーが当時一番伸びていると言われたドローン業界の大手企業の幹部と仲良くなってて。その会社はドローンの仕事が溢れていて、振り先がないから、会社つくって仕事を受けてくれないかと声を掛けてきたというところからスタートしているんですよ。
でも、いざその会社からの仕事を受ける受けないという大詰めのところで僕が初めて打合せに登場したんですけど、僕は先程話した通り一回騙された経験があるのでビジネスとして人として付き合えるかどうかというところは結構シビアに判断していたんですね。
結局、実際にその人に会ってみたら「この人はあかん」と直感で思って、後先考えずその場で取引を断ったので仕事がなくなっちゃったんですよ(笑)
その結果、最初は軍資金もあったんですけど、固定費と人件費もかかるから3か月くらいで全部溶けたので困りましたね。
仕事はないし、でも人件費や事務所の固定費はかかるし。ドローンの仕事の取り方がそもそもわからなかったですし。
──たしかに、今でこそドローンは色んな所で使われてますけど、当時はどこに売るんですか?
分からなかったです(笑)
自分たちなりに必死に考えてWeb制作会社とかテレビ制作会社、ゴルフ場とかにテレアポで営業しました。
アポ自体はそこそこ取れてドローンの話しをしたら興味は持ってくれるんだけど、そこから話が進まなくて……
3月に会社をつくって初めてちゃんと仕事が来たのが8月だったんですよ。
なので半年間はただ固定費払って軍資金も溶けて、途中足りなくなって自腹で従業員に給料を払ってみたいな。
ちなみにその最初の仕事は十数万くらいのドローン空撮の仕事だったので、今考えれば1人いれば十分な仕事だったんですけど気合い入りすぎて7人で行きました(笑)
先方も想像以上に人いっぱいきてびっくりしてて、そんなに大した撮影じゃないだろって(笑)
──それはめっちゃうれしいですよね。そのあとに仕事が順調に来るようになったきっかけは何かあったんですか?
何回かターニングポイントはあるんですけど、リスクをとってやってみて良かったなというのはあります。
今、うちは足立区と提携して災害時のドローン活用とか足立区内の飛行のルールを作ったりとかをやらせてもらってて。
実は東京23区で初めて行政と民間ドローン会社が提携させてもらったのがうちの会社なんです。
そのきっかけになったのが、毎年70万人くらい来る有名な足立区の荒川の花火大会でして。
大人数が来るイベントでドローンを飛ばすっていうのは法律的にも当時から厳しくて、国交省への許可取りも大変なんですけど、うちの前社長が急に「花火大会撮りたい!」と言い出したので、最初はみんなで反対してたのですがなんやかんやでチャレンジしてみることになりました。
当時は行政から依頼をもらったわけでもなく、自前でかつ合法にドローンを飛ばさないといけなくて。
ドローンを飛ばす場所もなかったので、広そうなビルとか家庭も含めてピンポンして屋上を使わせてくださいとお願いしてギリギリで飛行場所を確保し申請も間に合い、なんとか花火大会の撮影を実現することができました。
それを足立区に見せたら「めっちゃいいね」ってなって、そこに偶然いた警視庁の人たちも防犯的にも良いと言ってもらえて、そこから色々詰めて足立区や警視庁千住警察の災害・防犯協定を締結することとなりました。
──そんなことあるんですね!
僕は慎重派だったので当時はあまり乗り気ではなかったんですけど、なんでもトライしてやってみるもんですね(笑)
僕らみたいな若いベンチャー企業だと信用されづらいんですけど、1年目に行政との取引実績や提携ができたので、大手企業との取引の際にベンチャーで信用も実績もないからはじかれるってフィルターはこれのおかげでクリアできたというのは大きいですね。
リスクをとってチャレンジした結果、今はそれなりに知名度も出て人数も20名近くなり成長することができてます。
最初はほんとにやることもないのにずっとみんなで資料作ってて、よく考えたらなんの資料だったのかっていう(笑)
毎日夜遅くまで休みなく働いてたんですけど、あんなに時間かけて何やってたんだろうなっていうのはいまだに初期メンバーで話題になります(笑)
失敗③営業成績トップだったけど、もともと営業は苦手だった
──府川社長は最初から営業が得意だったんですか?
全然ですね。僕は人見知りなので。
──私もそうです。
でしょうね(笑)
僕は本当に苦手で、押しが弱いというか。
新卒入社で営業部入った時は、お客様に買ってくださいと素直に言える回りの営業マンたちがうらやましいなと思いました。
──さきほど営業でトップだったと伺ったので、意外です。
結果的には入社半年でトップになったんですけど、その中でもスランプはあって。
売るものも安くて誰でも売れるものだったので、行動量があればある程度売れちゃう中でも色々ありました。
古典的な営業会社だったので飛び込み、テレアポでゴリゴリいくみたいな感じだったので、みんなめっちゃ街に出てお店に飛び込むんですよ。
僕は飛び込むのは無理だしテレアポもやりたくないし、商談になっても押し切れない。
話す機会ができてもただの商品紹介になっちゃって全然売れないっていう時期もありました。
──どうやって売れるようになっていたんですか?
上司に「お前、人の顔色見すぎだよ」と言われて、まあそうだよなと。
でも、人の顔色を見すぎることは果たして悪いことなのだろうかと考え始めたときに、人の顔色を見すぎることはプラスにもなると思いました。
相手の視点に立って「どうしたら売れるか」ではなくて「どうしたら買うか」という思考になっていってから急に売れるようになりました。
そこからみんなが飛び込みや新規のテレアポばかりやってる中、僕だけ何もせず9割以上紹介で契約が取れるようになりましたね。
──うまくいかないときは、どうしても自分目線でしか考えられなくなってしまうので相手目線で考えるのが大事ですね。衝撃的な失敗から始まり、営業のコツまでお話いただきありがとうございました!